みたいな訳の分

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みたいな訳の分


私の父方のおじいちゃんは八十六歳で亡くなった。あれっ? 私の現在の年齢を-すると三十年。ふーーーん、もし、私がその年齢まで生存すると、「残り時間」が三十年。「しかない」と思うのか「げっ、なっ、なげぇー」と思うのか? 五十六歳で上昇は、まっ、医学的にはない。衰退のみ。まっ、気持ちは上昇していてもいいけれど、肉体は、仮にそうでも反比例。

最近、カミサンとお墓の話をよくする。どこ、どういう???という基本的な疑問が沸いて来る。で、私、カミサン、意見が一致している。場所、それとバン?ゴッホみたいな超シンプル。で、私は、「もう、購入していつでも入れるようにしておこう」と思っているのだけれど、カミサンが六十五歳の時にしようという。うーーーん、私的には、今から、自分の墓参りをしたいのだけれど???。花飾って。隣の人がね、「ご親族の方ですか? このお墓?」「えっ、あっ、これ? 俺の」なぁーーーんて素敵っ! いつでもね、ムーミンじゃね、ユーミンじゃね、永眠できる。こういうの逆パワー現象が起きるから、なんのなんのぉー、まだまだ、ピアノのレベル
がぁー、などと、がんばっちゃったりするのだ。それとね、自分のお墓見て、「いい奴だったよなぁー、彼は」なんて感慨に耽る。素敵ぃーーー!

その「ガッツリ」(コピーライト、サクライ君)生きようなぁーーーんていう気はない。ぶっちゃけ、クリエーション脳は終焉している。芸術家生命は終わっている。「元」そうだったとなっている。二十代後半の自分の写真を先日見た。美術作品の大作「不燃性の木」を作っている頃の。目付きが「狼目」。現在は「兎目」または「好々爺目」。だめだぁーこりゃ、と本当に思った。いいのだよ、重力には逆らわない方針なのだ。このフレーズのコピーライトは蝶姉さん。

まっ、仮に三十年間あるとする。健康体だったとする。なにをやるのか? 無理も上昇もしない。いつバツッと途切れてもいい。はい、その一。ピアノのレベルアップ。三流と二流の間ぐらいだから、これは十分に可能だし、未知数も相当ある。ふーーーむ、小説第十一作目の執筆。近頃、「フリージャズ流北回帰線からない小説のような詩のようなエッセイのようなもの」を書いてみたい気がしているのだ。おっ、もしかすると「このブログ自体がそれ」なのかも知れない気もする。それと、未完の美術作品の制作。新作はもう脳が駄目に
なっているから、未完の作品の制作。絶頂期の設計図郡が保管されているのだ。それ
とぉー、ミニ私設文化センターを作りたいしぃー、自宅に音楽スタジオ作りたいしぃー???。
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